Tombs of the Nobles and Deir el-Medina
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モニュメント

ルクソール貴族の墓とデイル・エル・メディナ

ルクソール西岸の貴族の墓ガイド。レクミラ、センネフェル、メンナ、ナクト、ラモーゼ、デイル・エル・メディナのセンネジェムの墓、そして120〜220 EGPのグループ券の仕組みを解説します。

2026年9月1日13 分で読める

貴族の墓のなかでも最も小さな墓のひとつ、シェイク・アブド・エル・クルナの丘に掘られた彩色の部屋では、盲目の竪琴弾きが宴の席にあぐらをかいて座り、目を閉じ、口を開けて歌っています。その傍らでは3人の若い女性がリュート、二本笛、竪琴を奏でています。近くの椅子の下では、猫が魚を食べています。この部屋の主はナクト。およそ3,400年前に生きたアメン神の書記にして天文官で、部屋の広さはホテルのバスルームほどしかありません。それでも、ここには王家の谷全体よりも多くの日常の暮らしが詰まっています。

これらの礼拝堂を訪れるべき理由は、まさにそこにあります。ファラオたちは自分の墓を冥界への案内書で飾りましたが、彼らに仕えた役人たちは、収穫、宴会、工房、魚釣り、家族での外出など、いつまでも手放したくない世界を描きました。南へ少し車を走らせたデイル・エル・メディナでは、王墓を掘り、彩色した職人たちが自分たちの村を築き、小さくも鮮やかな自分たちの墓を造りました。本ガイドでは、2026年秋時点でどの墓を選ぶべきか、わかりにくいチケット制度の仕組み、そしてエジプトを愛する多くの人が、ルクソールで最も好きだった時間としてここを挙げる理由を解説します。

ひと目でわかる基本情報

概要: ルクソール西岸にある、新王国時代の役人と王墓建設者たちの装飾された墓の礼拝堂

主なエリア: 貴族の墓はシェイク・アブド・エル・クルナ、コーカ、アサシフ、ドラ・アブ・エル・ナガ、クルネト・ムライ。職人の墓はデイル・エル・メディナ

チケット: 少数の墓をまとめたグループ単位で販売。各120〜200 EGP(2026年秋時点で約2〜3.50 USD)

デイル・エル・メディナ: 村、神殿、通常3基の墓で220 EGP。パシェドゥの墓は別途120 EGP

購入場所: 墓ではなく、メムノンの巨像近くにある西岸のメインチケット売り場

支払い方法: 銀行カードのみ

開場時間: 午前6時から。閉場は午後5時頃、冬季とラマダン期間のスケジュールでは午後4時

所要時間: 貴族の墓2グループとデイル・エル・メディナで2〜3時間

おすすめの人: 規模の大きさよりも、色彩や細部、日常の暮らしに惹かれる人

持ち物: 小型のライト、水、そして急で狭い階段に臨む忍耐

王家の谷ではなく貴族の墓を選ぶ理由

王家の谷の王墓は長く深く、宗教文書で埋め尽くされています。夜の時間、冥界の門、太陽神の旅。壮麗ですが、多くの訪問者にとっては読み解くのが難しいものです。テーベの丘に葬られた役人たちには、別の優先順位がありました。その多くが第18王朝のものである彼らの墓の礼拝堂には、墓の主が働き、くつろぐ姿が描かれています。畑を視察し、外国の使節を迎え、湿地で鳥を狩り、家族と宴を楽しむ姿です。これらの絵は装飾であると同時に呪術的な意味も持ち、そうした喜びを永遠に続かせるためのものでしたが、結果として地上の世界をのぞく窓になっています。

規模の小ささも魅力です。貴族の墓の多くは小さな部屋がいくつかあるだけなので、彩色された顔から1mの距離に立つことができ、人混みもはるかに少なくなります。冬の朝、王家の谷ではどの入口にも行列ができているときでも、メンナの礼拝堂は独り占めできるかもしれません。王墓については王家の谷ガイドで紹介しています。こちらは物語のもう半分です。

貴族の墓のチケット制度

ここが誰もが混乱するところです。貴族の墓には共通チケットがありません。墓地には400基を超える番号付きの墓がありますが、一度に公開されているのはそのごく一部で、公開中の墓は少数ずつのグループにまとめられ、グループごとに別々のチケットが販売されています。チケットはメムノンの巨像近くにある西岸のメインチケット売り場で事前に購入します。ここではデイル・エル・メディナ、メディネト・ハブ、ラメセウムのチケットも販売しています。墓そのものではチケットを販売していないので、出発前に見学する墓のリストを決めておきましょう。

以下は、観光・考古省の2024年11月5日付の料金表に載っている主なグループで、2026年秋時点でもこの料金が適用されています。学生料金は半額です。

  • レクミラとセンネフェル:120 EGP
  • メンナとナクト:200 EGP
  • ラモーゼ:200 EGP。従来、隣接するウセルハトとカーエムハトの墓も含まれてきました
  • ウセルハトとコンス:120 EGP。こちらは別人のウセルハトで、第19王朝の神官です
  • コーカの墓群:120 EGP
  • アサシフの墓群:200 EGP
  • クルネト・ムライの墓群:120 EGP
  • デイル・エル・メディナ:220 EGP。パシェドゥの墓は別途120 EGP

グループの組み合わせや各グループに含まれる墓は、保存修復のために閉鎖される墓が出るたびに変わることがあるので、支払いの前に売り場の掲示板を確認してください。ルクソールのほかの主要遺跡と同じく、支払いは銀行カードのみです。全国の料金については、エジプト主要遺跡のチケット料金ガイドをご覧ください。

レクミラとセンネフェル:権力とブドウの蔓

チケットを1枚だけ買うならこれです。最も安いからというだけでなく、2つの墓が互いを見事に補い合っているからです。レクミラはトトメス3世とアメンホテプ2世の治世に南の宰相を務めた人物で、王に次ぐエジプトで最も強大な役人でした。その礼拝堂はさながら年次報告書のようです。T字形の墓には長い通路があり、その天井は奥へ向かって高くなって約8m(26フィート)に達し、壁は国家の業務の様子で埋め尽くされています。

外国からの貢ぎ物の行列に注目してください。金の輪とキリンを連れたヌビア人、戦車と馬を携えたシリア人、精巧な金属器を運ぶエーゲ海の男たち、そしてプントの産物が並びます。さらに奥では、職人たちが家具や宝飾品、武器を作り、れんが職人が泥を型に詰め、彫刻家が巨像を仕上げています。宰相の職務を記した長い文書は、古代エジプトから伝わる最も重要な行政文書のひとつで、レクミラが職に就任する場面も描かれています。彼の名前と家族の名前は古代に削り取られましたが、その理由は誰にもわかっていません。

センネフェルの墓は、雰囲気がまったく正反対です。センネフェルはアメンホテプ2世の時代のテーベの市長で、急で狭い階段を下りていくと小さな地下の部屋に出ます。その凹凸のある岩の天井には、黒いブドウの房がたわわに実る蔓が描かれています。蔓は天井のあらゆる出っ張りやくぼみに沿って描かれているので、まるでブドウ棚の下に立っているような気分になります。壁にはセンネフェルと妻メリトが何度も並んで登場します。絵はガラスで保護されていてライトの光を反射しますが、難点といえばそれくらいです。

メンナとナクト:畑、宴、音楽

同じ丘に隣り合うこの2つの墓には、テーベの私人墓のなかでも屈指の壁画が残っています。2人とも紀元前1400年頃にトトメス4世に仕えました。メンナは収穫高の査定を担う「王の畑の書記」で、壁画にはまさにその仕事が描かれています。実った穀物の上に測量用の縄を張る測量士たち、収穫を記録する書記たち、罰を受ける滞納者、そして刈り株の中で言い争う少女たち。別の壁では、メンナがパピルスの小舟に乗って湿地で鳥を狩り、そのそばの舟には家族が乗っています。

メンナ本人の顔をよく見てください。多くの場面で、彼の目は故意に傷つけられています。それをしたのは、これらの絵が何のためにあるのかをよく知っていた誰かです。

ナクトの墓はとても小さく、装飾があるのは最初の部屋だけで、見学はガラス越しになります。それでもかまいません。盲目の竪琴弾きと3人の楽師が登場する宴、ブドウの収穫とワインの搾り場、湿地での鳥猟、椅子の下の猫は、エジプト美術のなかでも最も多く複製されてきた図像であり、それを本来の場所で見るのはまったく別の体験です。「アメン神の天文官」というナクトの称号は、おそらく神殿の暦と夜の時刻を管理する役目を意味していたのでしょう。

ラモーゼ、ウセルハト、カーエムハト:転換点の美術

美術好きの方に私たちがまず勧めるのが、ラモーゼの墓です。ラモーゼはアメンホテプ3世の治世の終わりからアクエンアテンの治世の初めにかけて宰相を務めた人物で、その墓はエジプト美術がまさに変わろうとしていた時期に掘られました。列柱の並ぶ大広間は、驚くほど洗練された浮き彫り(レリーフ)で飾られていますが、その大部分には彩色が施されていません。ラモーゼの葬送の宴に集う優雅な客人たちは、目だけが黒く縁取られていて、それが不思議なほど生き生きとした印象を与えます。その近くでは、彩色された泣き女たちの行列が、悲しみに腕を掲げています。

奥の壁に目を向けると、様式が一変します。ここではラモーゼが、アテン神の光線の下、バルコニーに立つ新王アクエンアテンと王妃ネフェルティティの前に姿を見せており、細長く引き伸ばされたアマルナ様式で彫られています。墓は完成しませんでした。宮廷がアクエンアテンの新しい都へ移った頃、ラモーゼは記録から姿を消し、最終的にどこに葬られたのかは誰にもわかっていません。その続きはテル・エル・アマルナのガイドでたどれます。

隣接するウセルハト(アメンホテプ2世の時代の王の書記)とカーエムハト(アメンホテプ3世の時代の穀倉監督官)の墓は、より小さく、たいていもっと静かです。ウセルハトの礼拝堂は、木陰で床屋の順番を待つ男たちなど、生き生きとした日常の場面であふれており、カーエムハトの礼拝堂には、収穫と穀倉を描いた見事な浮き彫りがあります。

コーカ、アサシフ、クルネト・ムライ

ほとんどの訪問者はシェイク・アブド・エル・クルナで見学を終えますが、ほかのエリアは2度目の訪問で真価を発揮します。ハトシェプスト女王葬祭殿の下の平地にあるアサシフには、エジプトでも最大級の私人墓がいくつかあります。ティイ王妃の家令で、精緻な浮き彫りを残したケルエフの墓や、アンクホルなど第25・26王朝の役人たちの墓があり、パバサの墓は約100 EGPの別チケットで販売されています。第18・19王朝の役人のために造られたコーカの小さな墓群は感じのよい場所ですが、照明はぎらつく蛍光灯です。チケット売り場近くの低い丘にあるクルネト・ムライには、傷んではいるものの興味深い小さな墓が3基あります。そのひとつが、ツタンカーメンの時代にクシュ総督を務めた「フイ」と呼ばれたアメンホテプの墓で、壁にはヌビアの王子たちが貢ぎ物を運ぶ様子が描かれています。

これらは最初の朝よりも、2度目の訪問に向いています。西岸に使えるのが1日だけなら、シェイク・アブド・エル・クルナの2グループとデイル・エル・メディナの組み合わせがちょうどよいバランスです。

デイル・エル・メディナ:王墓を造った職人たちの村

南の低い尾根を越えたところに、王墓を掘り、装飾した男たちが暮らした、壁に囲まれた村デイル・エル・メディナがあります。彼らはここを「セト・マアト(真理の場所)」と呼び、自分たちを「真理の場所の従者」と称していました。年代を特定できる最古の遺構はトトメス1世の治世、紀元前1500年頃にさかのぼり、共同体はおよそ4世紀にわたってここで暮らしました。それが終わったのはラムセス11世の治世で、墓泥棒、リビア人の襲撃、内乱によって王墓の造営が途絶えたためです。

残っているのは小さな町の区画です。1本の大通りと、壁の内側に並ぶ約68〜70軒の家の石の土台があり、どの家にも表の部屋、一段高い台のある居間、寝る場所、そして屋根のない台所がありました。壁の外にもさらに家が並んでいます。家族は何世代にもわたってここで暮らし、息子たちは父の後を継いでこの仕事に就きました。男たちは「右組」と「左組」の2つの組に分かれ、それぞれに親方がいて、書記が記録をつけていました。報酬は穀物の配給で、そこに魚、野菜、薪が加わり、恵まれた日にはビールや肉も支給されました。

彼らは物事を書き残してもいました。この村の識字率は異例なほど高く、何千ものオストラカ(文字を記した石灰岩の破片や土器片)が見つかっています。その多くは村の近くの大きな穴から出土したもので、仕事の欠勤、貸し借り、裁判、恋の詩、苦情などが記されています。ラムセス3世の治世末期、配給が届かなかったとき、職人たちは仕事を放り出して神殿のそばに座り込んで抗議しました。これは一般に、記録に残る最古のストライキとされています。村はスキアパレッリ率いるイタリア調査隊が1905年から1909年まで、ベルナール・ブリュイエール率いるフランス調査隊が1922年から1951年まで発掘しました。

北端には、プトレマイオス4世の時代に着工され、その後継者たちによって拡張されたものの完成しなかった、保存状態のよい小さなハトホル神殿が立っています。のちにキリスト教徒が修道院として使ったことから、この遺跡は「町の修道院」を意味するアラビア語の名で呼ばれるようになりました。

センネジェムの墓と周辺の墓

職人たちは村の上の斜面に自分たちの墓を造りました。どの墓にも、日干しれんがの小さなピラミッドを頂いた小さな礼拝堂と、その下の岩盤に掘られた埋葬室があります。王家の工房の技術を持っていた彼らは、それを自分たちのためにも使ったのです。デイル・エル・メディナのチケットでは通常3基の墓を見学でき、ここ数シーズンは次の3基でした。

  • センネジェム(TT1):セティ1世とラムセス2世の時代の「真理の場所の従者」。墓は1886年に、家族約20人の埋葬とともに未盗掘の状態で発見されました。温かみのある黄色の地に彩色されたヴォールト天井の埋葬室は、エジプトで最も美しい小部屋のひとつです。ライオンをかたどった寝台に横たわるセンネジェムのミイラにアヌビス神が身をかがめ、センネジェムと妻イイネフェルティが、来世の理想の農地「イアルの野(葦の野)」で畑を耕し、収穫しています。木製の扉と副葬品の多くはカイロへ運ばれ、ほかの品は現在ニューヨークとベルリンにあります。
  • インヘルカウ(TT359):ラムセス3世と4世の時代の職人組の親方。インヘルカウ夫妻の前で歌う竪琴弾きと、聖なる木の下で蛇アポピスの首を切り落とすラーの大猫を探してみてください。
  • アメンナクト、ネブエンマアト、カーエムテリ(TT218〜220):ラムセス2世の時代の職人アメンナクトとその息子たちの家族墓で、日常生活と『死者の書』の場面が描かれています。

別チケットのパシェドゥの墓(TT3)は、公開されていて(いつも公開されているわけではありません)、とても急な階段を下りるのに膝が耐えられるなら、追加料金を払う価値があります。いちばん下では、アヌビスのジャッカルが入口を見守り、ある壁ではパシェドゥがヤシの木の下でひざまずいて池の水を飲んでいます。西岸で最も美しい図像のひとつです。

ご存じですか:何ひとつ署名を残さなかった画家たち

デイル・エル・メディナの職人たちはセティ1世やラムセス2世、その後継者たちの墓を装飾しましたが、王墓は彼らについてほとんど何も語ってくれません。それ以外のすべてを教えてくれるのは、彼ら自身の村です。個々の親方、書記、下絵師の名前、隣人との諍い、サソリに刺されて仕事を休んだ者や祭りのためにビールを醸造していた者、王墓の現場から道具を盗んだ者のことまで、私たちは知っています。センネジェムの墓に立つとき、あなたが目にしているのは、王家の谷を彩ったのと同じ手による私的な作品なのです。

現地ならではのヒント:ライト、墓守、写真撮影

小型のライトを持っていきましょう。貴族の墓のなかには照明が十分なところもありますが、裸電球ひとつに頼っているところもあり、壁を斜めに照らすと、見逃してしまいそうな細部が浮かび上がります。彩色面に強い光を当てるのは好ましくないとされているので、光は柔らかめにしてください。

どの墓にも鍵を持った墓守がいて、なかにはチップと引き換えに何か特別なものを見せてくれたり、撮影禁止の一角を撮らせてくれたりすると申し出る人もいます。丁寧に断ってかまいません。顔料を傷めるフラッシュ撮影のためにお金を払うことは絶対にやめましょう。西岸ではフラッシュなしのスマートフォン撮影はおおむねチケット料金に含まれていますが、墓ごとに独自のルールがあり、デイル・エル・メディナの墓の内部では撮影が禁止されていた時期もあるので、当日の掲示に従ってください。基本的なマナーは神殿でのエチケットガイドで、小銭の用意についてはお金とチップのガイドで説明しています。

警告:急な階段と低い天井

センネフェルの埋葬室とパシェドゥの墓へ続く階段は、急で狭く、すり減っています。天井も、背の高い人なら頭をぶつけるほど低くなっています。膝の悪い人、閉所が苦手な人、心臓に持病のある人には向かず、底のほうは暑く息苦しいこともあります。レクミラ、ラモーゼ、メンナ、ナクトの礼拝堂は、丘の斜面のでこぼこ道を歩く必要はあるものの急な下りはなく、ずっと楽に見学できます。事前にガイドに伝えておけば、それに合わせてルートを計画してくれます。

見学の計画を立てる

半日のおすすめプランは、開場と同時にメインチケット売り場から始め、シェイク・アブド・エル・クルナで2グループ(通常はレクミラとセンネフェル、メンナとナクト)を見学し、暑くなる前にデイル・エル・メディナで締めくくるというものです。同じ午前中にメディネト・ハブや王妃の谷を組み合わせるのもよく、滞在に余裕があれば、貴族の墓は2度目のゆっくりした訪問にも十分応えてくれます。私たちの西岸完全ツアーはまさにそのような内容で組み立てることができ、メディネト・ハブとラメセウムのツアーは、ゆっくり過ごす2日目にぴったりの組み合わせです。

ルクソールに長めに滞在する予定なら、ハトシェプスト女王葬祭殿やネフェルタリの墓と王妃の谷のガイドで、ネクロポリス(墓域)のほかの見どころを紹介しています。色彩、歴史、建築、あるいはとにかく混雑を避けたいなど、あなたがいちばん大切にしたいことをお問い合わせページからお知らせください。あなたにぴったりの墓をご提案します。

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