1月のある午後3時半。観光バスがまだ王家の谷の駐車場から列をなして出ていく頃、メディネト・ハブの第2中庭はほとんど無人になっていることがあります。太陽はテーベの丘のほうへ回り込み、砂岩はトーストのような色に染まり、アーキトレーブ(梁)の下面では、3,100年以上前にラムセス3世の絵師たちが塗った青や赤が、中庭の向こうからでも見分けられるほど鮮やかに残っています。番人が石畳を掃き、足音が柱のあいだに響きます。ルクソールを訪れる人の大半が目にすることのない時間です。彼らは午前中に3つの王墓を回り、日中をハトシェプスト女王葬祭殿のテラスで過ごし、そのままホテルへ戻ってしまうからです。
崖の下に広がる平地に、2km足らずの距離を隔てて、ラムセスの名をもつエジプトで最も有名な2人の王の葬祭殿が立っています。メディネト・ハブはラムセス3世の要塞のような神殿で、西岸で最も保存状態のよい大神殿です。ラメセウムはラムセス2世の崩れかけた記念碑で、その倒れた巨像は古くからシェリーの詩「オジマンディアス」と結びつけられてきました。2つ合わせても王家の谷のチケット1枚より安く、所要時間は約3時間。新王国がみずからをどう見ていたかを、どの墓よりも雄弁に語ってくれます。本ガイドでは、それぞれの見どころ、2026年秋時点のチケットと開場時間、訪れるのに最適な時間帯、そして2つを西岸での1日にどう組み込むかを紹介します。
ひと目でわかる基本情報
場所: ルクソール西岸。2つの距離は2km足らず。メディネト・ハブは南端の王妃の谷の近く、ラメセウムは貴族の墓の近く
チケット: 外国人大人は各220 EGP、学生は110 EGP。2026年秋時点で各約4 USD(3.50 EUR)
開場時間: 午前6時から。閉場は午後5時、冬季とラマダン期間は1時間早まる
所要時間: メディネト・ハブは2時間、ラメセウムは45分〜1時間
支払い方法: ほとんどのチケット売り場でカード払い。ルクソール・パスは米ドルかユーロの現金で販売
ルクソール・パス: 両方をカバー。連続5日間有効で、スタンダード130 USD、プレミアム250 USD
光が美しい時間帯: 開場直後の1時間、または冬なら午後3時以降
日陰: ラメセウムにはほとんどなし。メディネト・ハブは門と側室に多少あり
建設者: ラムセス3世(紀元前1186〜1155年頃)、ラムセス2世(紀元前1279〜1213年頃)
日食: どちらも2027年8月2日の皆既日食の皆既帯に入り、皆既は6分強
2つの神殿が静かな理由
新王国時代のファラオは誰もが、西岸に2つの記念建造物を必要としました。丘に隠された墓と、耕地の縁に建てられた公の神殿です。神殿では神官たちが王の祭祀を永遠に絶やさず続けることになっていました。エジプト人はこうした神殿を「数百万年の館」と呼びました。かつてそれらは砂漠の縁に沿って一列に並んでいました。北のクルナにあるセティ1世葬祭殿から、ラメセウムを過ぎ、2体の座像の番人だけがメムノンの巨像として残る、今は消えたアメンホテプ3世葬祭殿を経て、南端のメディネト・ハブまでです。
その大半は建築用の石材として切り出され、失われました。本来の規模で残っているのは2つだけですが、パッケージツアーの多くはその両方を素通りします。王家の谷で3つの墓、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像で写真撮影。その頃にはグループは暑さにまいり、「神殿」という言葉はもう魅力を失っています。そのため、川のこちら側で屈指の王家の神殿2つが、午前10時でも、朝6時の王家の谷より静かなことがよくあるのです。先に背景を知りたいなら、エジプトの神殿建築の入門ガイドで、どちらの神殿にも共通する塔門、中庭、広間という構成を解説しています。
メディネト・ハブ:要塞のように築かれた神殿
ラムセス3世は新王国最後の偉大な戦士王で、ラムセス2世を崇拝していました。メディネト・ハブにある彼の神殿はラメセウムの設計を忠実に写しており、それこそが同じ日に両方を見るべきいちばんの理由です。一方は廃墟となった設計を、もう一方はほぼ完全な姿を見せてくれるのです。
ラムセス3世が付け加えたのは壁でした。神殿はかつて高さ約18m(60フィート)に達した日干しれんがの周壁の内側にあり、入口は塔門ではなく「東の高門」です。これは、エジプト人がレバントで目にした要塞の塔を手本にした石造りの門楼です。通り抜けるときに見上げてみてください。上階の部屋には、王が後宮の若い女性たちとくつろぐ、ほとんど家庭的ともいえる浮き彫りがあり、外壁の敵を打ち据える場面とは驚くほど雰囲気が違います。門を抜けると、前庭の向こうに第1塔門がそびえ、屋根も壁も彩色もかなりの部分が残る神殿の規模が、一気に目に飛び込んできます。
北壁に刻まれた「海の民」
中に入る前に、ほとんどのグループが見ることのない北側の外壁へ回ってみましょう。ここにラムセス3世は、自らの治世を決定づけた出来事を記録しています。治世8年目の紀元前1177年頃、エジプト人がペレセト、チェケル、シェケレシュ、デニエン、ウェシェシュと記した移住者と略奪者の連合が、陸と海からエジプトを攻撃しました。ちょうど東地中海の後期青銅器時代の世界が崩壊しつつあった時期のことです。
この海戦のレリーフは、現存する最古の海戦の描写とされるのが一般的です。エジプトの船が、角のついた兜や背の高い羽根飾りをかぶった乗組員の敵船に組みつき、人々が水中へ転げ落ちていきます。ペレセトは一般に聖書のペリシテ人と同一視されています。さらに先では、リビア遠征の場面が、書記たちが戦死者の切り落とされた手を数える様子で締めくくられています。英雄的な規模で刻まれたお役所仕事です。偉大なファラオたちのガイドでは、ラムセス3世を前後の王たちと比べて紹介しています。
第2中庭に残る色彩
中に入ると、第1中庭の片側にはオシリス神の姿をした王の巨像が並び、反対側には王宮のファサードがあります。そこにある「出現の窓」から、ラムセス3世は祭りの際に廷臣たちの前に姿を見せました。見事ではありますが、ここを訪れる本当の理由は第2中庭です。
その柱と列柱廊には、西岸のほかのどの神殿にも見られない規模で彩色が残っています。ハゲワシが散りばめられた空色の天井、アメン神の前に立つ赤と黄土色の王の姿、ミン神とソカル神の祭りの長い行列。この彩色を守ったのは2つの要因でした。ひとつは、ラムセス3世の彫刻家たちがレリーフを深く彫ったので、顔料がくぼみの奥で守られたこと。もうひとつは、キリスト教の時代、この地の古代の聖なる丘にちなんで名づけられたジェメの町が周壁の内側に生まれて紀元9世紀頃まで続いた際、この中庭に教会が建てられ、ファラオ時代の場面が漆喰で塗り込められたことです。古い神々を隠した漆喰が、彩色を光から守ったのです。
その先の多柱室は屋根が失われ、柱も切り株のように短くなっていますが、そこから続く小部屋は一見の価値があります。そのひとつが宝物庫で、壁にはかつてそこに収められていた金や貴重な器が描かれています。スマートフォンのライトがあると便利です。
小神殿、礼拝堂、西側エリア
メディネト・ハブは単一の建物ではなく複合体で、多くの訪問者が見逃す部分には、ラムセス3世より古いものも新しいものもあります。門と第1塔門のあいだには、約3世紀前にハトシェプストとトトメス3世が着工し、プトレマイオス朝やローマ時代になっても増築が続けられたアメン神の小神殿が立っています。ここはエジプト人が天地創造の8柱の原初の神々が葬られていると信じた丘を示すもので、10日ごとにルクソール神殿のアメン神像が川を渡ってこの神々を訪れました。
すぐ近くには、紀元前8世紀から6世紀にかけてテーベの広大な神殿領を取り仕切った王家の女性たち、「アメンの神妻」の礼拝堂があります。最も保存状態がよいのは、第25王朝のクシュの王女アメンイルディス1世の礼拝堂で、入口の浮き彫りは10分かけて眺める価値があります。
周壁の奥では、1924年からメディネト・ハブの記録を続けてきたシカゴ大学碑文調査団と共同で、米国国際開発庁(USAID)が資金を出したプロジェクトが、長く一般に閉ざされていた西側エリアの公開に取り組みました。2015年から2023年にかけて、神殿の三方に砂岩の遊歩道を敷き、「西の高門」の基礎を掘り出し、王家の墓地の書記ブテハムンの家を修復しました。
ご存じですか:暗殺された王
エジプトで最も守りの固い神殿を築いた王は、安らかには死にませんでした。現在トリノにあるパピルスには、ラムセス3世を殺害して側室の王妃の息子を王位に就けようと企てた、後宮の女性や宮廷の役人を含む数十人の共謀者の裁判が記録されています。何世代にもわたり、エジプト学者たちはこの陰謀が成功したのかどうかを議論してきました。2012年、『BMJ(英国医師会雑誌)』に発表された王のミイラのCT調査で、喉に深い傷が見つかりました。ほぼ即死だったと考えられる傷です。
彼の治世には、歴史上初めて記録されたストライキも起きています。治世29年目、穀物の配給が届かなかったデイル・エル・メディナの王墓建設者たちは仕事を放り出し、報酬が支払われるまで西岸の神殿で座り込みを行いました。彼らの村と家族の墓はメディネト・ハブから車で数分のところにあり、貴族の墓とデイル・エル・メディナのガイドで詳しく紹介しています。
ラメセウムと倒れた王
ラムセス2世は約66年にわたって君臨し、エジプトじゅうを自分の名で埋め尽くしました。彼の葬祭殿はメディネト・ハブの手本となりましたが、その運命ははるかに過酷でした。氾濫原の近くに建てられたため、毎年の洪水で弱り、その後何世紀にもわたって石材を切り出されたのです。残っているのは、塔門、柱、砕けた花崗岩が半ば立ち、半ば崩れた遺跡で、それこそがこの場所の魅力の大きな部分を占めています。紀元前1世紀のギリシャの歴史家、シチリアのディオドロスが記した「オシュマンデュアスの墓」は一般にこの神殿のこととされており、その名は王の即位名ウセルマアトラーを彼なりに表記したものです。
第2中庭には、アスワン産花崗岩でできたラムセス2世の座像の残骸が横たわっています。完全な姿だった頃は高さ17〜20m(56〜66フィート)、重さ約1,000トンと推定される巨像です。今は粉々になっていて、王のカルトゥーシュが刻まれた肩、上腕、拳、足が残るばかりです。シェリーはエジプトを訪れたことがありません。彼がこのソネットを書いたのは1817年の暮れ、友人ホレス・スミスとの友好的な競作としてでした。ちょうどその頃、ジョヴァンニ・ベルツォーニが1816年にこの神殿から運び出した王の巨大な胸像、いわゆる「若きメムノン」が大英博物館へ向かう途中でした。崩れた胴体の傍らに立てば、詩の最後の数行が残りを語ってくれます。
その巨大な残骸の朽ち果てたまわりに/果てしなく、むき出しのまま/寂しく平らな砂がはるか彼方まで広がる。 ── パーシー・ビッシュ・シェリー『オジマンディアス』(1818年)
ラメセウムの壁を読む
塔門には、ラムセス2世お気に入りの物語、紀元前1274年頃にシリアでヒッタイトと戦ったカデシュの戦いが刻まれています。奇襲を受けるエジプト軍の野営地、戦車でただひとり突撃する王、半ば溺れかけてオロンテス川から引き上げられるヒッタイト兵の姿を探してみてください。彫刻は完全な勝利を主張していますが、実際の結果は引き分けに近く、約15年後に両国は、条文が現存する最古の平和条約を結びました。その複製はニューヨークの国連本部に展示されています。
さらに奥の多柱室では、48本の柱のうち今も相当数が立っており、その先の小さな広間には天文図の天井の一部が残っています。それから遺跡の外縁まで歩いてみましょう。神殿を取り囲むように、日干しれんがでできたヴォールト天井の細長い倉庫が並んでいます。エジプトに残る古代のれんがのヴォールトのなかでも屈指の保存状態を誇り、穀物、油、ワイン、供物が保管されていました。このような神殿が穀倉であり、宝物庫であり、周囲何マイルにもわたる最大の雇用主でもあったことを思い出させてくれます。フランスとエジプトの合同調査隊が、何十年もかけて遺跡の発掘と保全を続けています。
現地ならではのヒント:メディネト・ハブは最後に
西岸で丸1日過ごす日は、午前6時に王家の谷から始め、暑くなる前にハトシェプスト女王葬祭殿に着き、平地がまだ耐えられる午前半ばにラメセウムを訪れ、昼食休憩をとってから、冬なら午後3時頃にメディネト・ハブに到着するようにしています。その頃には観光バスは去り、第2中庭は温かな光に包まれ、外壁を誰にも邪魔されずに歩けます。
午前中しかないなら、順番を逆にしましょう。中庭が涼しく、東向きの門と塔門に朝日が差す開場直後にメディネト・ハブへ行き、9時頃までにラメセウムへ。いずれにしても、4月〜10月は日中の時間帯にラメセウムを訪れるのは避けましょう。
メディネト・ハブのチケット、開場時間、ルクソール・パス
2026年秋時点で、どちらの神殿も外国人大人は220 EGP(約4 USDまたは3.50 EUR)、有効なISICカードを持つ学生は110 EGPです。なお、観光・考古省のあるページではメディネト・ハブが230 EGPと表示されています。どちらも午前6時に開場し、午後5時に閉場しますが、冬は1時間早く、ラマダン期間はさらに短くなることがあります。エジプトではほとんどの遺跡のチケット売り場がカード払いのみに移行しているので、VisaかMastercardを持参し、トイレや、ときおり親切にしてくれる番人のために小額紙幣も用意しておきましょう。
西岸の小規模な遺跡のチケットは、昔から各遺跡の入口ではなく、メムノンの巨像近くにある中央の遺跡チケット売り場で販売されてきました。2025年後半の訪問者の報告によれば、この2つの神殿についても依然としてそうだったようです。個人で旅行するなら、無駄足を踏む危険を冒すより、まずそこでチケットを買いましょう。
どちらの神殿もルクソール・パスの対象です。スタンダード130 USD、プレミアム250 USD(学生証を持つ学生は70 USDと130 USD)で、連続5日間有効です。販売はカルナック神殿と王家の谷のビジターセンターのみで、きれいな米ドル札かユーロ札で支払い、パスポートのコピーと写真が必要です。元が取れるのはルクソールの見どころの大半を回る予定の場合だけで、この2つの神殿だけなら個別のチケットのほうがはるかに安上がりです。エジプトのチケット料金ガイドに西岸のすべての料金をまとめていますが、料金はたいてい秋に改定されるので、出かける前に確認してください。
所要時間と行き方
外壁、小神殿、西側エリアまで歩くなら、メディネト・ハブには2時間、ラメセウムには45分〜1時間を見ておきましょう。両者の間の短い移動を含めると、ゆったりとした半日になります。デイル・エル・メディナと王妃の谷は、メディネト・ハブから数分の距離です。
東岸からは、町の南にある道路橋を渡るか、コルニッシュから公共フェリーかプライベートのモーターボートで渡ります。西岸の船着き場ではタクシーが待っています。平地は平坦なので、11月〜2月ならサイクリングも現実的な選択肢で、私たちの西岸サイクリングツアーは農道を縫って神殿をめぐります。最も手軽なのは車とエジプト学者のガイドを手配することで、私たちのメディネト・ハブ、ラメセウム、デイル・エル・メディナのツアーがまさにそれです。3つの遺跡、色彩の残る場所を知り尽くしたガイド、そして行列なし。
警告:平地には日陰がありません
ラメセウムには日陰がほとんどなく、メディネト・ハブの開けた中庭も大差ありません。7月と8月のルクソールでは午後の最高気温が40℃(104°F)を超え、石が熱を照り返してきます。5月〜9月は開場後2時間以内に訪れ、必要だと思う以上の水を持ち、しっかりしたつばのある帽子をかぶりましょう。
どちらの遺跡も足元が不安定で、崩れた石材や高い敷居があるので、しっかりした靴を履いてください。巨像に登ったり、彩色された壁に触れたりしてはいけません。番人が数ポンドと引き換えに閉鎖された一角を開けようと申し出ることがありますが、丁寧に断ってまったく問題ありません。
西岸での1日を計画する
この2つの神殿は、ゆっくり過ごす1日にこそ真価を発揮します。すべてを一度に回りたいなら、西岸を1日で巡るツアーで王家の谷とメディネト・ハブ、デイル・エル・メディナを組み合わせられます。静かな遺跡を好むなら、ラムセス時代の2つの神殿を軸に1日を組み立て、ハトシェプスト女王葬祭殿のテラスを加えましょう。こちらはハトシェプスト女王葬祭殿ガイドで紹介しています。夜明けの熱気球フライトはこのあたりの平地の上空を漂うことが多く、歩いて巡る前にラムセス3世の周壁を空から眺めるのもすてきです。
2027年8月2日にルクソールにいる人は、今世紀で最も長い皆既日食のひとつを目にすることになります。どちらの神殿でも皆既は6分強続きますが、8月の暑さのなかでは過酷な1日になるでしょう。川のこちら側のそのほかの見どころについては、まずルクソール旅行ガイドをご覧ください。旅行の日程と興味をお知らせいただければ、それに合わせて神殿をめぐるペースをご提案します。






